2: 風吹けば名無し 2019/05/12(日) 20:26:19.63 ID:D0SwGp070
そして空前絶後の快挙へ
6回も三者凡退。7回に二失、8回には再び山倉に四球と出塁を許すも、後続を断つ。
そして9回一死後、鴻野淳基の緩い三ゴロは落合博満の好守でアウトに。
そして「最後は篠塚(篠塚利夫)が、ややボール臭いハチマキカーブを見逃し三振。審判も空気が読めたのかもしれませんね」(星野)。
初登板ノーヒットノーランは、もちろんプロ野球で初めての快挙。18歳11カ月での達成も史上最年少だ。ゲームセットの瞬間最高視聴率は44パーセントだった。
だが、のちに星野監督は「僕は打たれてほしかったんです。こんな記録を初登板で作ってしまったら、今後どうなるんだ、と。そうしたら案の定……」と振り返っている。
この87年は4勝、翌88年は前半戦の7勝を含む8勝も、その後は中学時代からのカーブの多投によるヒジ痛、上半身に頼るフォームの弊害で肩痛と、満身創痍に。
90年代は勝ち星なく、94年に現役を引退した。
真価を発揮できずに終わったのかもしれない。
だが、この快挙の輝きは失われない。のちに星野監督も、懐かしそうに振り返った。
「今後メジャーで素晴らしい成績を残す日本人投手が、どれだけ出てきても、この記録だけは作れんでしょう」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190512-00000010-baseballo-base
6回も三者凡退。7回に二失、8回には再び山倉に四球と出塁を許すも、後続を断つ。
そして9回一死後、鴻野淳基の緩い三ゴロは落合博満の好守でアウトに。
そして「最後は篠塚(篠塚利夫)が、ややボール臭いハチマキカーブを見逃し三振。審判も空気が読めたのかもしれませんね」(星野)。
初登板ノーヒットノーランは、もちろんプロ野球で初めての快挙。18歳11カ月での達成も史上最年少だ。ゲームセットの瞬間最高視聴率は44パーセントだった。
だが、のちに星野監督は「僕は打たれてほしかったんです。こんな記録を初登板で作ってしまったら、今後どうなるんだ、と。そうしたら案の定……」と振り返っている。
この87年は4勝、翌88年は前半戦の7勝を含む8勝も、その後は中学時代からのカーブの多投によるヒジ痛、上半身に頼るフォームの弊害で肩痛と、満身創痍に。
90年代は勝ち星なく、94年に現役を引退した。
真価を発揮できずに終わったのかもしれない。
だが、この快挙の輝きは失われない。のちに星野監督も、懐かしそうに振り返った。
「今後メジャーで素晴らしい成績を残す日本人投手が、どれだけ出てきても、この記録だけは作れんでしょう」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190512-00000010-baseballo-base